■2012.8.21 お休み

みなさんこんにちは。ようやくまともな(?)休みが来ました。そう、朝から翌朝まで
休みがなんと3日間(水曜は車の運転でつぶれますので)。そう、病院に全く顔を出さない
、ケイスケの顔も見ない、カルテも書かない、聴診器を耳に突っ込まない、パソコンもみない。
すべての業務を止めてリセットします。何をリセットか?体というより頭です。
プロブレムを把握し必要な検査をリストアップ、検査結果を分析し、治療オプションを考えひねり出す。
そして手術をこなすのも体というより、頭です。頭脳を休ませ、回復させて帰ってきます!
軽めのハイキングととプール遊びで過ごします。

■2012.8.2 新病院 C


新病院を見に来られた先生方がすぐに「お、バーベキューにいいのでは?」
と言われる場所があります。2Fの洗濯干し場です。
テナントの時は洗濯干し場が無かったので、空き時間に駐車場で干したり
室内で除湿機をブンブンかけて乾かしていました。バルコニーの
おかげで電気代がかからなくなって昨年より電気代が安くなくなり、洗濯もの
もすぐに乾くので「先生、術着がありませーん」「ドレープ(手術の覆布)がありません」
ひどい時は「先生の白衣が乾いていません」ということがありました。
夏になってから、カラッとパリッと乾いた洗濯もので気持ちよく診察です。

あ、バーベキューはしませんよ!

■2012.6.7 新病院 B

スタートしてからいろいろ話を書かせていただこうと思ってましたが、
なんせ「忙しい!」の3ヶ月でした。手術は昼夜を問わずおこなわれ、
夜間の急患も結構電話が鳴り、GWはひたすら休むつもりでしたが、そうもさせてくれません。
税理士さん、銀行の支店長から窓口の女性まで「お体大切に・・・」の
一言が必ず言っていただき「そんなに具合悪そうかな?私?」と思うありさまでした。

さて新病院になって嬉しいのが「ミニドックラン」用は運動場なんですが、
入院のワンちゃんのおトイレやホテルの患者さんの気分転換につかう優れモノです。
テナントでの診療の時は「リードをつけて必ず私が散歩」でしたので、大助かりです。
そんなある日、超大型犬(体重35kg)の避妊手術のご依頼がありました。
一番の悩みは「犬舎に入るの?」という心配でした。
しかし、エリザベスカラーをつけるとやはり首が曲がってしまい、気道を曲げるので
危険です。そして考えたのが、ドックランに居てもらっては??でした。

まだぼーっとしているワンちゃんを運び入れ、入り口をロック!
窓から覚醒状態を確認できるので、ある意味犬舎より非常に監視状態が良かったです。
とても重宝する設備です!

■2012.3.7 新病院A

写真などを載せてちょいちょい公開していこうと思ってはいましたが、
1月はope続きで過労気味、2月は打ち合わせ、引っ越し用意、手続きetc
なんだかんだと理由はつけますが、この冬は開業以来最高潮に忙しい
冬でした。おかげさまで26日になんとか無事引っ越しを終えて再スタート
となりましたが、ちょいちょい手直し工事や追加工事や整理に追われていると
今日になっていました。理想の診療施設を作り上げましたがあくまで病院だけ。
患者さんに「2Fはご自宅ですか?」と聞かれることが多いのですが、
8畳弱の事務室兼更衣室兼仮眠室の院長室(今まで更衣室も無く、
事務関係は自宅。仮眠は診察室で済ませていました)と5畳半のスタッフルームの2間。
それと念願の洗濯干し場です。ちょと家族では手狭です(+_+)。
これから少しずつ院長室を快適に過ごせるようにしたいと思います。

■2012.1.15 新病院@

いよいよ新病院も形になり、その大げさな姿をあらわになることになりました。
とにかく新病院の間取り、大きさ、配置!すべてが使いやすく、スタッフが働きやすく
なることを願って考えました。OPE室の機能を現状から独立させ純粋に
手術のためだけに使うこととなり、医療施設としての形をようやくかなえることと
なりました。今の病院がダメダメというわけではありませんが「病院としての体裁」
が整ったといえます。建築のこれからが楽しみです。

■2011.11.19 秋の訪れ


HPを更新、管理しているパソコンをリニューアルしソフトを入れ、さて更新!と思っていたら
管理するパスワードを忘れてしまい(一度パソコンに入れると次から入力しないので)、
プロバイダーとのやり取りで時間がかかりました。
病院から見える山々も赤や黄色に変わり始め、北の友人からは「冬用タイヤの出番」との知らせが
届きました。温かい秋かと思いきや寒気の訪れは早いようです。
セミナーや学会の季節でもあるので出席すると、新しい情報やら機材、器具やらを見かけ
財布のひもが緩んでしまいます。神経外科と整形外科の器具をいくつか購入しました。
毎年、新しい器具が手に入ると、「秋だなー」と思うのは、獣医さんだからでしょうか?

■2011.10.10 リアル猿の惑星

昨日は「猿の惑星・創世記」を覧てきました。第1作のラストシーンで「実はそこは地球だった」
という衝撃的なシーンを忘れることが出来なかった私は、事前の宣伝の誘惑に落とし込まされ、
「科学者としてこれは見なければいけない!」と言う不純?な理由で診察が終わって
そうそうに見てきました。宣伝である程度ネタバレしてますが、アルツハイマー治療薬を
猿に投与して・・・という話でしたが、近々こういった話も現実的な事と思う
といろいろ心配になり、考え込んでしまい夜も眠れませんでした。
心配になったのは「iPS細胞」です。再生医療の最先端を行っている京都大学山中教授・・・
そして京大霊長類研究所。リアルな猿の惑星の発信源は意外と枚方から近い、京都かも知れません!
心配しすぎでしょうか?絶対大丈夫な原発もあんな事ですし、
バイオハザードも想定外を想定しているのか?気になる「芸術の秋の夜長」でした。


■2011.9.10 コース変更で気付いた、自宅の近所

いつものジョギングコースを走るよりも早く起きた先日。
「ん。たまにはいつもと反対方向へ行ってみよう」と何を思ったのか、
封印していた坂道の多い東香里3丁目、香里が丘方面に行くことにしました。

自宅を出て最初は比較的平地なので順調、順調。家をでてすぐの
スーパーナカガワ、出光石油GS。ゴルフ場では朝から気持ち良くクラブを振っている
人たちが見えます。きっと私と同じ朝の気持ちよさを満喫しているのでしょう。
COCOストア(コンビニ)では、朝食を買い出してバス停に走る人たち。香里が丘の坂を
下ると、多くの患者さんが散歩していました。いつも車で走ってしまうけやき通りも
いつもと違った風景に見えます。すがすがしい太陽と青空・・(*´艸`)
いつもと違って見える風景は脳に新鮮な刺激になります。

たま〜にゆっくり走ることで、いつも見過ごしている物が見えますね。
診療もそうで、違う角度で見れば診断がより早くつくこともあるかもしれません。

その後、藤田川から高田への上り坂で心臓が張り裂けそうでした(>_<)

■2011.8.25 甥っ子

先日の「夏休み」の続きですが、とうとう小学生の見学が来ました。
と言っても倉敷に住む甥っ子です。いつもは兄弟2人で来るのですが、今年から
中学生のお兄ちゃんは陸上部の活動に熱くなり、とてもおばあちゃんの所には来ず、
1人で来たため、何をしてすごして良いやら・・となることが
目に見えていたので、「診療でも見においで。」と誘うつもりが、
「手術見においで」となりました。狭い病院では外来診察はさすがに邪魔(?)になる
ので、手術なら職場見学を通して甥っ子の教育に役立つはず・・と
職権乱用で行うことにしました。

麻酔導入をするところから見てもらい、気管挿管、モニターの接続、術野の消毒、
手指の消毒、ドレーピング、器具を並べて、さて開始・・・・
普通の子なら切皮して出血したところでもうダメ
なんですが、じーっと見られています。ギャラリーがいる手術は慣れていますから、
身内なら空気(?)みたいなものです。緊張も全くなく、

「生きているから皮膚を切ったら出血する」だの、
「これが腸、子宮、膀胱・・・」だの
「縫合する」だの
「傷を目立たないように綺麗に縫合するんだよ」だの、

恩師のDr.Tが聞けば「えっらそーに!おまえ、うちで開腹手術を初めて見た時、倒れたやんけ!」と
いう声がどこからか聞こえてきそうな職場見学の公開手術でした。

それなりに得た物はあったようですが、「獣医になる!」とは言ってもらえませんでした。
私の小さな目標ですが、樹形図のように私の伝えたいことややってきたことなどが
後生に伝わればいいかなぁーと思っています。

■2011.8.12 夏休み

「夏休み」と言っても、動物病院の夏休みではなく世の中
の夏休みです。いつもは聞き慣れない幼い子供さんの足音や声は
ふと、あの日の私の記憶がよみがえります。
はじめて獣医さんと出会ったあの日のことです。
(詳しくは『私が獣医になったわけ』をご覧ください)

とにかく色んなポスターや機械、先生の着ている物や持っている器具。
キラキラした瞳(?)にうつっていたのでしょう。あれから二十数年・・・あのころの私と
全く同じように(?)小さな子供達がキラキラとした瞳で私のこと?(いや、自意識過剰か?)
を見つめています。時間が許す限り、子供達とコンタクトをとって見ますが、
最近のお子さんは恥ずかしがりなのか、お母さんの後ろに隠れたりします。

もっといろいろ質問してほしいんだけどなぁ・・・っと小さな獣医さんの卵探しをする
夏休み間近の獣医でした。


■2011.7.24 消臭

病院を維持管理する上でもっとも重要な事は、「防音・防護・防臭」です。
防音、(X線)防護は病院の建築段階で何とかして、後はそうそういじることは
ないのが普通です。(X線が漏れて防護をいじるようなことがあれば大変です!)
しかし、防臭は患者さんの状態やおしっこ癖で常に状況は変わります。

先日、待合室のあっちこっちでおしっこをしてしまって、大変な事になりました。
通常拭き取りやすい材質で床を造っているので、消臭洗剤で拭けば
解決するのですが、ところがまき散らした場所が無数にあるので、
(受付の看護士さんも把握できないぐらいでした)拭いても拭いても
待合いがすごいニオイです!

結局、夜の閉院後にもう一度椅子から、何から何まで拭き、空気清浄機2台
を全開にして一晩!しかし、まだ翌朝臭います。
朝も拭いて、昼も拭いて、夜も拭いて、そして3日目・・・ようやく収束しました。

とある文献によると
動物は危険を察知するとおしっこなどに強烈なホルモンを出すようなので
そのニオイかも知れません。

ひたすら床を磨いた3日間でした。

■2011.7.5 節電

関西電力の節電要請に応じていろいろ考えてみました。
待合室の照明を消してみて午前のみを過ごしてみましたが、患者さんからは
「気が付かなかった」「別に十分明るいのでは?」という
反応でしたので、午前は消灯することにしました。

いかに電気をじゃぶじゃぶ気にせず使っていたか分かります。
しかしながら、診察室、受付など消灯するとサッパリ分からない場所は
そのままと言うことになりました。窓がないんですよねー。

気が付けば医療機器というモノは電気があってナンボと言うことに
気が付きました。しかもすぐ使えないといけないので、診察時間は
待機電力をドンドン消費する(>_<)。

我々の生活、医療は神の火(原子力)にいかに依存していたかを考えさせられます。
原子力を全て否定するわけではありません。
なぜなら、日本の経済発展は過去40年間の原子力発電があってこそ
だと言うことは、紛れもない事実です。

反対デモ行進をしている人たちだって、産まれてくる時の病院の照明や分娩監視装置
はみんな電気で動いていたわけだし、通勤通学だって電車で行っていたはずです。

ま、私が言いたいのは「やることやって安全を確保しなさい、電力会社さん!」と言うことです。
それから民間企業が発電装置を持つことを「経産省をつるんで規制するな!」も、かな??

■2011.6.11 おひさま

毎朝のジョギングのあと、シャワーを浴びて朝食をとる時、家族で見ている
番組があります。NHK朝の連続小説ドラマ「おひさま」です。

ここ数年の間では『「ゲゲゲの女房」以上の作品は出ないだろうー』と
思っていましたが、これが1回目からツボにはまってしまい、「お昼の再放送まで
待てません!」(というか、忙しくて見られません)
というぐらいの入れ込みようです。

何にはまっているかというと、井上真央さんの演技もさることながら
美しい家族の絆を描くストーリー、家族構成、登場人物の純粋さ、信州の自然
によってドラマ自体がまぶしく輝いています。

ドロドロドラマ(火曜9時)もいいですが、やはりテレビドラマの基本は「さわやかさ」
でしょう!来週もこうご期待です。


■2011.4.29 うんこしてますか?

食事をしながらネットをされる方はいないと思いますので大丈夫でしょう。
「うんこしてますか?」開口一番そんな診察をする動物がいます。
それは「ウサギさん」です。

ウサギさんを飼育された方はご存じと思いますが、常にポロポロうんこをして
掃除をしても掃除をしてもきりがありません。
それはウサギさん(齧歯類)独特の消化器運動、構造がそうしているわけであって
何も嫌がらせや病気ではありません。
丸々としたコロコロのうんちをしている間はとても健康です。
しかし、うんこはしているが、小さくなったりうんこ同士が繋がったりして
いる場合は「下痢」です。特にブドウのようなうんこは典型的です。
そして、うんこが止まった時・・・・生命の危機になると思って
間違いありません。腸内の悪玉菌クロストリジウムが
大増殖して、毒素を大生産・・・排便停止数日で命にかかわります。

「あ、うんこが止まった。よかったー掃除しなく良くなって・・・」
そんなわけないです!大至急、病院へ行きましょう!

■2011.2.1 He is back !

さて「彼」とはいったい・・・そう。彼「インフルエンザ」です。
ある月曜日の朝「なんだかのどが痛い・・・・」
そして夕方「悪寒」がし始めヤツの気配を感じましたが、
「3種混合ワクチン打ってるからだいじょーぶ」「風邪でしょ、風邪!」
しかし、悪寒はドンドン進み、そして35.3℃。
この展開は・・・・・

そう、インフルエンザA型でした。

発熱は人生最高?の39.8℃まで上昇(以後測っていません)
天井は廻り、波打ち、幻聴が聞こえます。女性が歌ってます。リアルに・・・・
聴いたこと無い歌なのにリアルに聞こえるので、異常行動の
分析の一端に使えるのでは?と冷静に思う自分もいました。
翌朝には何とか微熱になりましたが、金曜まで「なんだかしんどい・・・」
そんな日々が続きました。土曜日から元気に診療してますよ

手洗い、マスク、睡眠、ワクチン・・・・もう対策はやりきっています。
これに加えるなら「ワクチン2回打ち」でしょうか?


■2010.12.9 年の瀬

毎週楽しみにしていた、大河ドラマ「龍馬伝」も12月を迎えずに
最終回が来てしまい、「あ〜1週間の楽しみがぁ(>▽<)」と
落ち込んでいました。それぐらい楽しみにしてました。
HDDビデオの中にはいろいろ溜まっていましたが、
「龍馬伝」だけは週を繰り越すことなく見てました。
幕末の混沌とした時代に生きる若者(まだ私もその年代でしょうか?)たちが
必死に己の志の為に生きる姿、無念にも儚く散っていく姿を見ると
「ボクっていったい・・・・」と我が人生を振り返ってしまうドラマでした。

己の志は変わることなく果たしていると思うのですが、
幕府を終わらせたり、これからの日本の将来を描いたりする姿は
たとえ脚色されているとはいえ100年以上の時を越えても私の目には
まぶしくうつり、そして改めて坂本龍馬の偉大さを知った1年でした。

獣医さんの世界で何かを成し遂げる事が出来るなら、いったい自分に
何が出来るのか?夜な夜な考える師走の夜でした。


■2010.10.5 走る!走る!

毎度毎度、健康ネタですみませんが、とうとう、7ヶ月目に入りました。
そう朝のランニングです。こんなに続くと一番に思っていなかったのは当の本人でしょう。
気付いてみれば、ランニングシューズはソール(底)が剥がれてきている上にすり減り
今にも分解するのでは?と思うぐらいです。
インナーの生地は穴があき、そろそろ限界です。いい加減に買わないと足を悪くしそうです。

そしてランニンググッズ?に加わった物があります。
それは「SONY・ウォークマン」!
今まで携帯電話に音楽を入れていましたが曲数に限度があり、音がイマイチ・・・
家電量販店をウロウロしていると店員さんに声を掛けられ、
新機種発売で旧型機種が超特価!買ってしまいました。

新しいヘッドフォンは音も良く、コードもないので邪魔になりません!
100mダッシュを5本してもはずれないからますます便利になりました。

こないだイチローの200本安打10年目の記事を見ていると
「かっちょいー、このサングラス・・・(>▽<)」
調べてみると「度入り」(眼鏡のように)で作れるようです。
どこまで入れ込むのか??こうご期待です。


■2010.7.29 健康でいるということB

かなり話題が飛んでしまいましたが、なぜ「健康に目覚めたのか?」
という理由ですが、一番の要因は「体重管理」です。

今シーズンは雪に恵まれたのですが、
今まで滑り降りることができたコースに尻込みし、時折アンコントロール(制御不能)になり
かかり、滑走を中断することも目立ち、転倒時の衝撃が「痛い(+ェ+`*)」と感じるように
なったから・・・・・が大きな理由ですが、一番心に期するものがあったことが
ありました。読売ジャイアンツの木村拓也コーチの急逝です。

年齢はさほどはなれていない彼のくも膜下出血による死去を自分に重ね合わせると、
今までの不摂生な食生活、運動不足を改めないと、多くの患者様、家族を
困らせることになり、悲しみの海を漂流させることになるからです。
彼のまだ幼い息子さんや、多くのファンを見ていると心に期するものが
深くなりました。まずは食事管理と運動・・・

食事は一日の生活リズムを考え量や内容を吟味し、腹八分目で我慢。
朝の運動は欠かさずするようになりました。どんなにきつくても
3kmはウォーキング&ジョグ。調子が良い時は5kmぐらいでしょうか?
こつこつ続けること3ヶ月で−6kg!一番太っている時からは−8kg。
はけなかったズボンもベルトが必要なくらいになりました。
雪が降るまでにあと3kg・・・・いけるかな?


■2010.6.17 健康でいるということA

救急外来の病室で点滴を受け一夜を寝るや、寝ないやの状態で過ごし、
朝が来ました。体温は下がらず、激痛も変わらず、けど尿意はもよおします。
尿瓶におしっこをするために立ち上がることさえも苦痛です。

そしてすごい経験をしました。膀胱から尿が無くなると虫垂が動くので
痛い場所が変わるのです!そして「痛い!」が「超ぉ痛い!」になります。
3回目の尿の後に激痛が激しすぎてとうとう尿瓶ごと倒れ込み、
再び血圧低下(+ェ+`*)病室におしっこがこぼれます。

けど看護婦さんはイヤな顔一つせず、巨体の私をベットに戻し、血圧を測り
床のおしっこを拭いてくれました。「すげー、白衣の天使(´・ω・`)」

外科の先生が来てくれてお話しによると、やっぱり虫垂炎。
私の頭の中には昨夜から「この痛み、さっさととるにはオペですよね?」という台詞が
用意されていました。
「今すぐ切って下さい。」さすがに驚きを隠せない先生方( ゚д゚)・・・
家族を呼び、動物病院に連絡を入れ年末同様に対応してもらうようにしました。

あれよあれよと言う間に術前検査を済ませ、手術室へ・・・・・
マスクをかぶせられ呼びかけに応じたところまでは覚えているのですが、
気がついたら手術が終わり、病室でぼーっとしてました。
不思議と手術痕は痛くなく、腹膜痛も無くなりました。

術後の経過は良かったのですが、動物病院からの報告を受けるたびに
自分の健康をまもれなかった事に大変つらい思いをしました。
そして働けなくなったら、大変だということも痛感しました。

お陰様で繁忙期は乗り越えましたが、「次は無いぞ!」っと心に期するものが
あった5月でした。


■2010.5.6 健康でいるということ@

というタイトルで書こうとしていた、連休の頭にとんでもない病気におそわれました。
それは「急性虫垂炎」いわゆる盲腸です。
30日の月末の会計処理やらなんやらしていると、遅くなってきた21:00ごろ
急激にお腹が痛くなり、腸がギュルギュル?と音を立て始めました。

「節制してるから食べ過ぎでもないし、夕方のトイレは・・・しっかりしてたし」
音が止まったその刹那!急に痛みが増してきました。(+ェ+`*)

ま、とりあえず帰ろう。帰って風呂に入って、寝よ。そしたら治るでしょ!
ちょっと疲れが溜まっただけ?かな。下痢も嘔吐も無いし。

しかし自宅が近づくたびに痛みが増し、家に帰るとうずくまり動けなくなり、
布団に入っても痛みがどんどん増します。

「これは非常事態!119番をぉぉぉ(;´д`)ノ 」

枚方市民病院に救急車で運ばれるまでにもドンドン痛みが増します。あり得ないくらい
低い血圧になりました「あー気管挿管とかされるのか?輸液全開とか?」
病院に着くと血液検査、レントゲン、CT検査・・・・・
待っている間に右下腹部に痛みが集中してきました。「ここは、ひょっとして・・・?」

先生の説明も私の予想と同じく「おそらく虫垂炎」。明朝の外科の診察を待って
手術かどうか決めますっと・・・・・

頭の中が真っ白になりました。病院(動物病院)はどないしょ???
いろんな意味で不安な一夜を迎えました。


■2010.4.18 三日坊主

最近頑張っていることがあります。しかも長続きしていることです。こうやってブログ
に書けばさらにさぼらないように自分を追い込めるのでは?と自虐的です。

それは朝のウォーキング&ランニングです。「・・・・なんだ」と思っているみなさん!
なんと根性無しの私が「1ヶ月半」も続いているんです。よほどの雨が降らない限り
どんなに短時間でも必ず朝食前に家を出て歩き出し、体が温まり次第ランニング&
ウォーキング。寝坊した日でも必ず町内を歩いて病院までそして家に帰る。
それをなんと毎日です。集合注射で忙しい朝も、夜オペで疲れが抜けきらない朝も、
こつこつ続いています。

とにかく「家からトレーニングウェアを着て出る」ということです。
継続は力なり!結果として出てきたのか、体重が3kg減りました(人*´∀`)+・。*
しかもまだ落ちていきます。今まで無かった傾向です。あと2kg落ちたら
少々走り続けても膝が耐えられると思うので頑張ります。心臓と肺は
もつのか??やってみないと分かりません。

なぜここまで健康に目覚めたのか?それは次回に!こうご期待!


■2010.3.25 奇跡

なんとかマグロは食べられる事になったようですね。お寿司屋の皆さんはストレスから
開放されたことでしょう。良かったですね。

ドバイの会議は奇跡が起こったようですが、我々の診療では奇跡は起こりません。
助かるべき症例は助かり、逝くべき症例は逝ってしまう。そんな毎日です。

絶対にこの子は亡くなる・・・そんなマイナスイメージでオペに挑む事は
年に何度かあります。奇跡を祈りながら麻酔をかけ、神がかった判断力で
手術をし、子羊の気持ちで術後を見守る。そんな一症例がありました。

お正月明けに東京から引っ越してきたフラット・コーテッド・レトリーバ。
なんと、昨年秋に脾臓の血管肉腫破裂で脾臓摘出を行い、なんとか一命を
とりとめたもののお仕事の都合で大阪・きんせい動物病院の近所へお引っ越し。
年末まで経過が良かったもののなんだか調子が悪いとのこと・・・・

残念な事に、超音波検査で肝臓の一部に転移病巣を発見してしまいました。
出血が見付かったものの、微量であるため毎日診察させてもらうため
通院しているうちに出血も止まり元気になりました。この辺まではよくあることなので
「奇跡」とは感じませんでしたが、先日「起立不能、可視粘膜蒼白、血圧低下」で来院しました。

大量の腹腔内出血です。

すぐに試験的開腹術を行いました。画像診断通り、肝臓の方形葉が腫瘍化し破裂。
腹腔内から1350ml回収しました。この段階で術中死を予想したのですが、
肝葉切除を行い、なんと麻酔からきちんと覚醒しました。
この段階で激しい貧血と血小板減少。DIC(播種性血管内凝固症候群)
と呼ばれる危険な状況です。中心静脈カテーテルを挿入し大量輸液を行い
ありとあらゆる薬剤を投与・・さすがにその夜はほとんど寝られませんでした。

しかし、翌朝・・・・なんとすごい勢いで食事を採る彼がいました(>▽<)
しかしDICは元気な状況でも突然死を起こすので安心出来ないので
数日入院してもらいましたが、グングン血小板数や凝固因子も回復し、
術後5日目で退院しました。(人*´∀`)+・。*

「奇跡」この2文字に尽きる一症例でした。神様が降りてきてくれた日々だったのか?
それとも助かるべき症例だったのか?
医療現場に奇跡は起こらない。ホントにそうかな???と思いました。



■2010.3.13 マグロとイルカとクジラ

共通点は海洋生物で大型と言うところでしょうか?いえいえ、今新聞テレビを騒がす
3種の生き物です。見方によれば貴重な海洋生物を保護するように見えますが、
単なるジャパンバッシング(日本叩き)の様にも見えます。

クジラとイルカに関しては古来からの日本の伝統的な食文化だったものが、
20世紀(21世紀)に入り、マスコミやインターネットによる屈折した情報の伝わり
方で海外の人々に誤解されているように見えます。
私達日本人だってTVやネット(最近ではyou tubeとかいう動画)でみる
外国人の変わった食文化(猿とか犬やカンガルーを食べる文化)を見れば
同じような感情が湧くかも知れません。
しかし、決して船を襲ったり、隠し撮りした取材映画でアカデミー賞をもらったりはしません。

マグロはどうでしょう?マグロは古来から日本近海でも取れる魚を値を下げることが
主な目的で流通量を増やすために海外にまで出向くか、輸入して食い尽くしているよう
にもみえます。フードマイレージの面から言えばそろそろ畜養マグロの出番かも知れません。。
地産地消の精神で、近くで取れるマグロをそこそこのお値段で食べる
ようにしていってみてはどうでしょう?
けどマグロを食べない欧米人にとやかく言われるのまハラがたちますよね。

しかし、日本は「忍」の一字でいつも耐えていることが、悔しくてなりません。
弱腰外交の新政権には頑張ってもらいたいモンです。

■2月14日 いったい私が何をしたのぉ (´・ω・`)

今日は完全にskiネタなんですが、今シーズンの木曜日・・・・skiに行く日は全て荒天なんです。

1/14 諸事情により、skiに行けず。 → ほどよいお天気
1/21 低気圧が発達しすぎて猛吹雪。リフトが停止して、ゲレンデで立ち往生。午前で撤退。
1/28 なんと大雨
2/4  諸事情により、skiに行けず。 → パウダースノーが舞う1日
2/11 9日より気温上昇。10,11と雨。12日よりほどよい雪が降り回復。
      楽しみにしていたski旅行も中止。

いったい私が何をしたというのでしょうか!天下の雨男と言うことなんでしょうか?
自然を相手にしているスポーツだと言うことを思いしらされる、今シーズンです。
診療もそうです。日頃から「治って当然」と思っていてはいけませんね。
「治るお手伝いをしている・・・」ぐらいの謙虚な気持ちを忘れないようにしませんとね。


■2月5日 クロ?シロ?

今日は世の中を騒がす朝青龍・・・ではなく、小沢幹事長のお話より。
朝青龍のお話しを書こうとか思っていた矢先、ニュース速報で「引退」 の2文字が・・・・
例えの題材の人物を変えようということになりました。
政治色が濃いブログは余り好きではないのですが、個人としては小沢幹事長は
限りなくクロに近いグレーだと思います。

結果的にはシロなんだそうですが、 論理的思考を主にする科学者であり獣医師であるので、
特捜部長の 会見内容に納得できました。
(というかクロにするだけの証拠を集められない特捜部の力量にもあきれましたが・・・
「なんや!これだけ家中騒いでネズミ三匹かい!」っと )

それは、「有罪に出来るだけの客観的証拠が出ない」・・とのことです。
ここで私が言いたいことは、客観的証拠が無い逮捕は出来ない!ということです。

私たち動物病院における獣医師の診療に置き換えると、
POS(Ploblem Oriented System)=問題指向型診断システムにより進める診療(捜査)のその先には、
EBM(Evidence Based Medicine)=根拠に基づく治療(裁判)が出来るのです。
検察の方針も何が問題点(違法性)かを提起し、根拠(証拠)に基づく治療(裁判)する
ということなのだなぁっと感じた各社の報道でした。

医療・司法、 理系・文系にかかわらず、世の中の問題(恋愛は別でしょうけど)は
このロジック(論理)で立ち向かえば百戦錬磨なのではないでしょうか?



■2010.1.16 ヤツにおそわれました。(多分ですが) A 闘病編

「自分だけは発熱外来のお世話にならない!」
そんな自負?過信?の根拠は、ここ20年熱を出したことが無く
又、インフルエンザにかかったことも無いという普段から嫌いな物の考え方「思いこみ」
からでした。それはさておき・・・・

病院はスタッフのみでお薬、フードの処方は行い、再診の方は31日に来てもらう
ようにし、すぐに診察が必要な患者さんは、近くの整形スペシャリストDr.Oの
病院へ行ってもらうようにしました。

次第に全身が重たくなり、関節が軋んできます(+ェ+`*)
いつも食欲をそそるTSUTAYAの前のたこ焼き屋さんのニオイもなぜか
「腹立たしく?」なり食欲がなくなりました。
食欲が無くなるなんて、久しぶりです。いっそこのまま食欲が無くなれば
ダイエットも出来るんだろうが、食べないことは回復を遅らせるだけ!
おかゆとパンケーキを胃に流し込み、タミフルなど薬を一気飲みし、ポカ○スエットを
とともに床につきました。

足や腕が鉛のように重くなり、またさらに痛み始めます。
トイレに行きたくても立つことが厳しいため、はいつくばって行く始末です(´・ω・`)
夜中のトイレの時に熱を測ると38.8℃・・・・「見たこと無いよ。こんな数字(+ェ+`*)」
それからは翌朝まで寝たと思うのですが、朝一番の体温は36.8℃(;^▽^)
全身のけだるさは残るものの、なんとかトイレには行けるようになりました。
体重は−4kg。しかし年明けには戻ってました(>▽<)

31日にはなんとかマスクを厳重にし、一年を締めることができました。

看病してくれた家族と病院を支えてくれたスタッフ、Dr.Oに感謝致します。


■2010.1.3 ヤツにおそわれました。(多分ですが) @

今年もあとわずかだぁ!あと1日で年末の診療を終えお正月の準備に
かかるんだなーと考えていた、29日の午前診。
突然、寒気を感じダウンジャケットを着込みました。それでもなんだか寒いので
「暖房の効きが悪いんだよ。きっと」・・・・・・

しかし悪寒は進む一方です。これはなんだか変だぞ??(;^▽^)

体温計を処置カートから出して体温を測ると、「35.0℃」????
「こんなに熱って低いものなのかな?」(んなわけないのですが)
だるいし、仮眠用ベットを出そうかな。横になれば良くなるかも?(この時点でおかしいよ!)

しかし、悪寒はどんどん進み痙攣の様なふるえが始まりました!
診察の患者さんが来られ、外耳処置を始めようとしたのですが、手足に力が入りません!
「ドスン!」椅子に倒れ込むように座ってしまい。
「すいません(>_<。) 体調がおかしくて、改めてお越し願えますか?」

獣医さんになってこんな事初めてです。この時点で体温36.9℃。
たった20〜30分で2℃も上がっています。そしてふるえは激しさを増し、
とうとう病院へ(+ェ+`*)

さらに検温すると37.3℃・・・・・手足が痛み始め、朦朧とする意識の中で
「これは絶対!ヤツだぁ。間違いない!」
念のためインフルエンザ検査キットでの判定へ。
検査待ちの間もどんどんしんどくなってきます。
しかし、
医師「先生(どっちも先生ですが)、マイナス(陰性)やわ」「どないするー?タミフル出しとく?」
獣医師「ここ20年ぐらい、まともに熱出したことないんで、多分ヤツでしょう。お願いします」
医師「あ、そうだねー。じゃ、抗生剤と解熱剤、整腸剤もだしとこかぁ?」
獣医師「お願いします」

と言うわけでインフルエンザの仮診断が下されました。しかし、しんどいのはこれからでした。

闘病編へ続く。

■2009.12.26 こんな年の瀬に・・

今年もあとわずか。予定手術も無事抜糸をこなし、緊急性も無い手術は
年明けを待って行う段取りをしておりましたが、やはり「年の瀬をこのまま越させたくない!」
と来院される患者さんは多いようです。
今日は口臭が激しく、流涎が止まらないため来院されたおばあさんネコ。
歯石で歯が見えなくなり辺りの歯肉は炎症を起こしていました。

「う〜ん。全身麻酔下で抜歯と歯石取り。特に越年で診療しなければいけない
 状態にも陥らないだろうし、やってあげればきっと良い新年を迎えられるはず!」

予定手術は入れない!と硬く誓っていた(誰に?)のについつい飼い主さんの
「なんとかして下さい!」のうるうる眼(まなこ)に負けてしまうのでありました。

■2009.12.3 この子の余命は・・・?

寒くなって来ましたねーって、まだまだskiにはほど遠いのですが、寒くなってくると
慢性疾患を持っている動物には厳しいのか、力及ばず亡くなる患者さんもこの時期多いのは
事実です。これはどこの病院でも言えることと思います。

というのは、この仕事に就いてから10年・・・毎年11,12月に亡くなることが多く、凹む時期なのは
職場を変えてからも、開業してからも毎年この時期です。
特に心臓疾患や腎不全を患っておられる患者さんには気を遣う日々か続きます。

先日転院されてきた患者さんを診させて頂いて、心不全の管理が上手くいっていない
ところ、心エコーで微細な評価を行い、内服薬を変更することで上手く行くことが出来ました。
「余命がこれでずいぶん伸びたと思いますよ」とお話ししたら、ずいぶん喜んで
おられました。

すると、その患者さんの紹介で老齢のワンちゃんを連れてこられたご婦人のお話を聞いていると
「主人の形見(今年亡くなられた)なんです。死んではいけないんです!」

運動機能障害を主訴として来院頂いたので、かなりご心配だったようです。
しかし血液検査、レントゲン、神経学的検査、眼底検査を行い、
変形性脊椎症、椎間板ヘルニア、甲状腺機能低下による貧血が診断されたので
細かくお話しして「まだまだ元気」とお話しして一件落着か?
と思っていたのですが、会話の終わりに「この子の余命は・・・?」と。

いつも思うのですが、癌や心不全や腎不全などは症状の進行や検査データの
解釈で余命がここ数ヶ月なのか数日なのかお話しさせて頂くことはあります。
しかし、元気でご飯も食べるし、これと言った重度の疾患もなければさすがに分かりかねます。

この飼い主さんには「ボクは神様じゃないので・・・、けど時々そうなれたら良いかなって思います。」
とだけお話ししておきました。もっと小刻みに定期健診をする事も神様への近道かも知れません。

■2009.11.25 ミニブタの爪切り


先日、毎年ミニブタの集団予防接種をさせていただいている飼い主様より
ご連絡があり、「鎮静剤を投与して爪切りをしてほしいのですが・・・」という
ご依頼がありました。この件につきましては前説があり、恩師のDr.Tより事前に電話があり
「君の所に相談の電話があるはず」
という予告電話がありました。その時は「注射はともかく、沈静???(;^▽^) 」

産業動物(牛、馬、緬羊、ブタ、鶏)の実習はありますが、牛と馬が主で
それら以外は、トン(豚)と実習が無いのですが、獣医師歴10年の私は「勉強すれば、出来るはず」
と請負のお返事をしてしまいました。

Dr.Tから「鎮静剤の使い方」と「爪切りに必要な機材」を教えて頂き、解剖学の教科書を
もう一度開き「ふんふん。楽勝(o^-')b ・・・・」

お約束した時間に伺い、さて鎮静剤を・・・・投与量はイヌと同じで・・・
「で、この子何kgなんですか?」と聞いて分かったのは小さい方のホントのミニブタさん。

もう一人のブタさんは「ミニ」とおっしゃるのは飼い主さんで、我々から見れば
「フツーのブタさん」でした。全長で言えばゴールデンレトリーバぐらいです。
私「体重はどれぐらいですか???」
飼い主さん「40kgぐらいでしょうか?主人は45kgと・・・」

効果を示すまでに時間がかかるので、小さい方のブタさんを切っているあいだに
効くのでは????と思っていました。しかし、いつまでたっても寝てくれません!!!
追加投与を繰り返して体重に対する投与量の倍量投与しましたが、やっとぼーっとする程度です。
これ以上投与しては危険では?と思い、爪を切りにかかりましたが、硬い硬い、太いこと太いこと。
ダイヤモンドチップの電動カッターでも回転数が足らないのか、なかなか切れません。
鎮静があまり効かないため暴れ回るので、約2時間の格闘でした。
なんとか切れましたが、「なんで効かないの??」という疑問符だけが残りました。

病院に帰ってから、Dr.Tに相談すると「え、その全長なら80〜100kgやで (´・ω・`) 」
効かないわけです。正確な体重推定法は腹囲から推定することも教えていただきました。

体重は飼い主さんが把握しているだろう・・・・獣医師歴10年の私の持っている、落とし穴でした。
機材はコーナンの工具売り場で良さそうなカッターがありました。再戦には準備万全です!


■2009.11.1 きんせい動物病院の長い1日 最終話 「レトリーバはタオルがお好き?(;^▽^」

「苦しい 疲れた もうやめた それでは 命は救えない」

診察室に貼ってある色紙にはそう書かれています。 といっても書いたのは私なんですが。
患者さんには「これは誰が?」とか「大変なお仕事ですしねー」とか 「辞めたくなるんですか?」と聞かれます。
しかし、『あの』ときは「苦しい 疲れた もう・・・」でした
。「辞めたい」とまでは思いませんでしたが・・・

19:45、最後の患者さんのカルテ入れのメモに「タオル1本食べる。2時間前」
と記載があり、受付以外のスタッフと私は、

(;´д`)ノ

手術器具は全て使用され、滅菌の用意さえも出来ていません。術着、ドレープも全て洗濯中。
オペ看護士のスタッフの体力、気力も限界か?口数も少なく、私の体力も未知の領域にまで
使っていたので、ほぼ空っぽ。まさしく、いろんな意味で手術は限界です。

しかしレトリーバの異物誤飲は多いです。開業して以来レトリーバのお腹から摘出したものは
パンスト一対、こたつ布団、革靴一足、軍手、ゴムホース(これはごく一部です)数々ありました。

布類が好きなんでしょうか?飼い主さんに聞いてみると、
「いつもはそんなにかじったりしないのですが、クッキーを包んでいたものですから・・・」

ともかく何とかしないと・・・・処置に選択肢はなくこの場合、催吐処置しかありません。
オキシドールなどを飲ませて吐かせるのです。吐かなっかったりしたら即入院で
明日開腹することになります。

食べてから2時間・・まだ胃にあるのか?十二指腸に行っていたら・・?いろいろ考えましたが、
オキシドール50mlを飲ませて待合室で様子を見ていると・・・

「おえぇえぇぇぇぇぇぇぇっっっ!!  (+ェ+`*)  」
勢いよくタオルが出てきました(;^▽^)

運良くタオルをちぎりながら食べていたため、ほぼ全てが出てくれました。
点滴をして今度は吐き気止めを注射・・・・ケロッと元気なりしっぽを振って帰って行きました。

掃除を終えて、入院になったパピヨンさんの診察をして終礼。時計は21:00をまわっていました。
12時間、食事無し、休憩無しで走り続けたきんせい動物病院。
私はもちろん、スタッフ一同すっかり疲れはてて解散しました。
最後に「お疲れ様ー。明日もこんなに忙しかったら?」の質問に、「えぇ! (ノ"o")へ(×_×;) 」
顔色が変わっていました。

それから往診に伺い、全ての業務を終えて帰宅すると23:00。
「苦しい」は思いましたね。「疲れたー」は最高に感じました。そして「もうやめた」は??
患者さんの笑顔と新しい命の誕生の感動に吹き飛んでいきました。
いつまでも、そう言う仕事であって欲しいなぁ (人*´∀`)+・  と思います。

最後に。この1日で4kgやせましたが。翌日にはきちっと戻っていました。


■2009.10.30 きんせい動物病院の長い1日 B 「産科医への変身!命の誕生!」

きんせい動物病院には緊急用の電話回線が設けてあります。
患者さんはご存じと思いますが、電話をかけて頂くと、診察時間以外は留守番電話で
「急患の方は・・・・へお掛け直し下さい。」と案内させてもらっています。
病院にいる時はその電話で応対しますが、不在時は携帯電話へ転送されるシステムです。

その回線が鳴りました。しかもまだ手術中・・・・看護士さんが電話に出ると
「M.ダックスで妊娠しているのですが、破水して3時間たってもまだ産まれません(;´д`) 
 痛そうにウンウンとうなっています。どうしたらいいですか?」
電話をとった看護士さんも、この状況に置いてこれ以上の受け入れをどうするか
迷っていました。

どう考えても緊急で帝王切開が必要です。しかし、手術器具は全て出払っており、
滅菌を待っている器具がひと揃いありますが、使用できるまでに約1時間。
私の昼食時間、無し。オペ担当看護士さんの昼食時間、無し。
しかし帝王切開で産まれた時の喜び、priceless・・・・ヽ(*⌒∇^)ノ♪

「 受け入れます! 器具をすぐに滅菌。休憩室のスタッフを呼んで下さい。」

看護士さんは電話ですぐに来院をしていただくように伝え、他の看護士さんを
呼びます。時間は4時ちょっと前。まもなく午後診察も始まりますが、
そんなことは言ってられません Σ(`・ω・ノ)ノ
器具の滅菌が始まり、その他の用意を始めます。

閉腹し、麻酔覚醒を待ち、ICUへ移します。するとすぐにダックスさんが来院。
レントゲンで1頭しか妊娠しておらず、しかも過大胎児なので骨盤で頭が止まっています(´・ω・`)
超音波検査では胎児の心拍がゆっくりとなっている事が分かった為、帝王切開以外の
選択肢が無いことを飼い主さんにお話しして了解を得ました。

その前後で通常の外来もこなしているため、スタッフもフル回転!
器具の滅菌が完了するやいなや、開腹できるように、麻酔を導入し、消毒。
待合室では他の患者さんには診察を待って頂くか、一度帰宅して頂き、後程お電話をすると言うことに
して看護士さんに応対してもらいます。

胎児を取り出し、すぐに蘇生担当の看護士さんへ渡します。今年2年目のOさんは
2年目と思えないぐらいの高度なテクニックの持ち主です。
気道の羊水を抜き、蘇生をさせることが出来ました(;^▽^)

「みゅ、みゅっ、みゅ〜う」(*´艸`) かわいい声が聞こえて、待合からも「わぁー (>▽<) 」と
歓声が聞こえます。

たった1頭でしたが、患者さんご一家には待望の赤ちゃんだったようで
母体の覚醒を待って赤ちゃんも無事に帰宅されました。
帝王切開はいつも感動と飼い主さんの喜びを間近で感じるのでやりがいがありますねー。

そして6時過ぎから、ようやく通常の診療が始まりましたが混み合う待合室はなかなか
解消せず、定時を過ぎて19時45分にようやく最後の患者さんを診察できることになりました。


次回、最終話 『レトリーバはタオルがお好き?(;^▽^)』 に続く


■2009.10.24 きんせい動物病院の長い1日 A 「小児外科医の挑戦!」

まず往診先の2件の患者さんの家に電話し今夜か、明日の昼に往診を
してもらえないか、お願いの電話をしてみました。
「緊急の手術をしてあげて下さい・・」お二人ともそうおっしゃったので、
お一人は夜の診察が終わってから、もう一人は明日のお昼まで待ってもらうことになりました。

さて次は開腹手術のアシストをお願いしなければ・・・
Dr.Mに電話してみると、こころよく承諾してもらえました。

腸閉塞が疑われた場合、壊死している腸管を切除して腸同士をつなげる
「腸吻合術」が考えられます。そう言った場合、獣医師の助手があれば
スムーズに進みます。大抵の開腹手術は看護士さんとやりますが、
整形外科、神経外科、泌尿器や消化器の高度な手術は獣医師のアシストが
あれば、手術を受ける動物には時間短縮により、安全性が増します。

ネコの避妊手術は30分程度で終わり、
眼科の手術は簡便な瞬膜覆弁設置術。20分ぐらいでおわりました。

しかし、トラブル発生(´・ω・`)
Dr.Mから電話が入り、国道170号線が大渋滞!
迂回路を指示することで何とか予定の14:00すぎには到着してくれました。

麻酔をかけ、消毒し開腹。予想以上の小腸の悪い状態に二人とも絶句しました。(;´д`)
小腸はかなりの部分が黒く変色。腸管にふれても「それ」らしい異物は触れません。
米粒大の異物はありましたが、閉塞する程ではありません。明らかな異物は
そこしかないので小切開。小さな埃の固まりが摘出され・・・・・そこから続くこと続くこと
細い荷造り用のビニール紐が80cm。ひも状異物は動物では多く見られます。
腸管が引きつってしまい、蠕動運動を妨げるからです。

摘出は出来ましたが、約10cmほど腸管の壊死が認められたので、
腸管切除と吻合にかかります。小腸の細さは鉛筆より少し太いぐらい・・・
考えてみれば2.4kg=2400g。1歳ワンちゃんとはいえ、ちょっとした
未熟な人間の赤ちゃんです。その組織は柔らかく、極小の厚み。
右手の縫合針の針先、左手のピンセットに全神経を集中させます。
Dr.Mのアシストが絶妙で、適確に出血を拭き取り、術野を確保。
私に見えやすいように、腸管を回転させます。
優しく腸管を保持してくれるのでとても助かりました。(;^▽^)

腹腔を生理食塩水で洗浄しDr.Mは一陣の風のように手術室を後にしました。
そこへ時間外急患専用電話が鳴りました! (+ェ+`*)


次回 『産科医への変身!命の誕生!』 に続く


■2009.10.19 きんせい動物病院の長い1日 「嵐の予感」

さる連休明けの10月13日。開院7年目のきんせい動物病院始まって
以来の最も長い1日が始まりました。

その日は朝から良いお天気で、動物病院日和(^o^)車の中のFMラジオでは
降水確率0%、秋の動物病院の平和な1日かと思っていました。
お気に入りの竹内まりやの曲を聴きながら足取り軽く出勤♪

予定の手術は1件。ネコの避妊手術だけで、午後からは往診が2件を
済ませた後カルテ整理など雑用を考えていましたが、
車を止めるとすでに患者さんが病院の前で待っていました。
嵐の予感がしました。こういう朝は病院の中は嵐になるのです(;^▽^)

バタバタと着替えをすまし、診察を始めると次々に連休を我慢されていた
患者さん・・・・外耳炎やら、下痢やら、血尿、爪切りやら、etcスタッフ3名も走り回って
(狭いんですがねー。病院は・・・)いました。

しかし中には再診の患者さんも多く、先日から気になっていた角膜潰瘍の
患者さんが来院されました。
眼科検査を再度行い、間隙灯による拡大鏡検査で感染による角膜のむくみ
が進行し、より深い潰瘍になることが予想されました。眼球に穴が空いて
失明する可能性があります。そこで簡単な手術を行うことにしました。
この辺までは「今日はいそがしーなぁー」で済むのですが・・・・台風の中心は
未だ来ていませんでした。

『先生。やっぱり吐き気が治まらなくて、さらにグッタリしてます(;´д`)ノ』
前日の祝日の時間外で診させてもらった2.4kgの1歳のパピヨン・・・
脱水がさらに進み、昨日の問診と症状にでは腸閉塞を疑いました。
バリウムを投与しても10分後にバリウムを吐いたため、その確率が高まった
ので緊急に試験的開腹術を行うことにしました。

このままでは午後の予定がまわらない!Σ(`・ω・ノ)ノ
スタッフからグウタラしているケイスケ?まで、パニックに!

次回 『小児外科医の挑戦!』 に続く


■2009.10.3 のらネコさん、ウェルかめ?

かなり久しぶりの更新です。
10月に入り年度の下半期にはTV番組の更改時期でもあり、朝の連ドラも
変わっていました。苦手な(診療上のですが・・・)カメの話よりも最近続くノラネコの
お話しを・・・・

比較的公共性が高いと思っている、動物病院という仕事ですが、患者さん個人に
貢献する仕事とは別に、地域の皆さんに喜んで?(喜んで頂いている顔はごく少数ですが)
頂ける仕事に、「ノラネコの避妊手術・去勢手術」があります。

世の中には「ネコ取りかご」という罠があり。かごの中にエサを仕掛けておくと
こっそり入り込んで来たは良いのですが、踏み板を踏んだ刹那!

「バシャーーーーーン!(+ェ+`*)」

と入り口が閉まってしまうという世の中のノラネコを優しく(?)捕まえる便利な道具があります。
検索してみて下さい。今ではネット通販で買うことが出来ます。

そして連日のように、「せんせーヽ(*⌒∇^)ノ♪捕まったわぁ」という
勢いで病院に来られます。捕まってよくよく見ると、

「ん?この子、オス♂ですよ(;^▽^)」
「えー(;´д`)ノハズレなんー?」
「種は止めれるから・・・」
「畑を無くさないと、どこからともなくオスが来るんですよー」

すごく切ない?話ですが、この患者さんの庭でネコが∞に増える事が毎年心苦しかったせいか
女の子は1週間お預かり付きの避妊手術はかなり魅力的で安心されるようです。

こちらはスタッフ共々、1週間は飛び跳ねるノラネコ相手に格闘ですが・・・
ネコ派の私はウェルカムですが、お世話をしているスタッフにはヒヤヒヤするようです。

「社会奉仕、地域奉仕のためよ!」と看護婦さんにいつも分かってもらってます。

■2009.2.5 思ったより雪が降り・・・・

久しぶりの更新です。
タイトルからして12月からskiに行きたおしているわけではありません。
ちょっと忙しい冬でした。100年に一度の経済不況の中「忙しい」といっている のは
ありがたいことかも知れません。なかなか、休日も病院から
離れるわけにも行かず、夜中にちょいちょい病院に行っていると
HPの更新はおざなりになるもんです。
夕飯に鍋でもすると「ビールでも・・・」の声が掛かっても
「いや、夜中の回診が・・・」となり寂しい食卓です。

というのはこの冬は長期入院の患者さんが
多くいるので、重症度の高い時はやはり寝る前に様子をうかがいに、
寒い中出て行きます。うかがっても「先生、ご苦労様!」と
言ってくれるわけでもなく、「なんやねん?」という顔で迎えられます。(-_-)

傷の状態や、脱水の状態、点滴チューブの確認をして注射をすると
やっと一日が終わります。そんな最後にメールをチェックをして
デスクの横を見るとスキー場の写真がぁぁ・・・・早く帰ればいいのに、
「HPでゲレンデと週間天気をチェック、チェック!!(*^_^*)」
お、週末は冬型で降雪か!しばらく晴天で良い感じらしい・・・・
夜中に一人でゲレンデを滑る姿を妄想し、「にへらー(*´艸`)」としています。

そんな来週の連休はスキーJAM勝山(福井県)に早朝から行く予定です。
やったー(人*´∀`)+・。*


■2008.11.14 漢字と部下と王様と

麻生総理の政策は皆さんご存じかと思いますが、
昨日の休診日にTVを見ていますと「総理は漢字の読解ができてない!」
と 痛烈な批判を浴びていました。

ネットでどのような漢字が、総理は読めなかったのか調べてみますと 、
「頻繁(ひんぱん)」を「はんざつ」と読み 「踏襲(とうしゅう)」と言うべきところを「ふしゅう」
「未曾有(みぞう)」を「みぞうゆう」。「詳細(しょうさい)」を・・・・・ ・
だんだん笑いをこらえることにつらくなってきました。

私はバリバリの理系学生でしたが、漢字の才覚は人並みと 思っています。
6つほど総理の失敗をあげられていましたが、 読めない漢字、
というよりも「知らない日本語」は「踏襲(とうしゅう)」 だけであとは全部知っていました。
踏襲はあんまり使わない日本語 だと思うのですが、どうでしょうか?
記者会見ではご機嫌斜めの総理が「読み間違い、勘違い」と投げやり気味の
お言葉で記者さんに返してましたが、「・・・・・・ホンマに知らないんだな」
という風にあまり印象よく受け取れませんでした。

評論家の皆さんは「一国の総理が母国語をきちんと話さなくてどうする」
「英会話が流暢でもあれではだめだ」など批判してました。
しかし、私はそんなことより気になったのは、
同じ言葉を日を改めてまた間違える ということです。

私より優秀な教育を受けて東大や早稲田、慶応を出ている秘書官や
国家公務員の方々がそばにいて、また席を並べる政治家の方々が
いるのに、『誰も注意しない』ということです。
これでは裸の王様ではないでしょうか?しかも、原稿を作っている官僚も
総理の漢字レベルや老眼などを加味してあげれば、総理の恥ずかしい
ところを何度も放送されずにすんだのではないでしょうか?

みんな総理のことが嫌いなんでしょうか?支持率、不支持率はともかく
「いまのところ、あんたが大将」なのです。すこしフォローしてあげる
気持ちを永田町と霞ヶ関にあってほしいもんです。
そうでないとまた寂しい総理になってしまい、またまた「俺、総理やーめた」
なんてことにもなりかねません。

さて動物病院ですが、獣医師は私1名の病院です。
ですから医療的な判断は私に一任されるわけですが、たまに
「テントのデザインを変えるけど、どれがいい?」とか
「診察券を新しくするけど、どのデザインがいいかなぁ」など
女性スタッフならではの感覚を聞きたい時があります。
非常に参考になるので加味することが多いので助かります。

勤務医時代の院長・A先生は気さくな方で、診療以外は
深く物事を悩まれない先生でしたからカルテの誤字は
私がこっそり直したり、「A先生、これは○○ではなくXXでは?」と
気軽に言ってました。すると「おーそうかぁ。サンキュー、勉強になったよ」
とおっしゃって、別にご機嫌が悪くなったりするどころか、 院内の雰囲気も漢字の話や
日本語の話で 明るく盛り上がったもんです。
しかし、何度注意しても同じ漢字は間違えていました。(>_<)
後日談ですが、私が退職して「電子辞書」を購入されたそうです。

不景気風吹きすさぶ国内事情ですが総理には 「はっはー(^_^;)、勉強、勉強!」
と右から左へ受け流すぐらいの 度量と、周囲の取り巻きには(漢字の話ぐらいは)
「シロではなくクロです」 という勇気が国政に必要なのではないでしょうか?
このままではホントの裸の王様になってしまってしまいます。

動物病院にも、政治家にも、自己保身優先な優秀な取り巻きより、
気軽になんでも相談できて、信頼できる部下の方が必要かもしれません。



■2008.10.13 奈良般若寺〜コスモス寺〜

最近はブログもお休みがちでした。すみません。
ネタに事を欠き始めたので、何を書こうと思っていました。
獣医さんネタからはずれ、これからは日々の院長・山本欣生を書こうと思います。
これからは写真もUPするようにしますね。

3連休に半日だけ休みが取れたので、コスモスを見にコスモス寺(奈良市般若寺)に行って来ました。
夕方からは灯りのライトアップがあり、癒やされました(*'ー')。o ○





■ 2008.7.17 メッツェン! 

うちの病院の獣医さんは私一人。大がかりな手術を行う時は
Dr.Mや恩師のT先生に来て頂いたり、遠くは「大和郡山のゴットハンド」S先生
にアシストをおねがいします。

ここ何年か医療ドラマが頻繁に放送され、もれなく再放送まで見てしまうほど
医療ドラマ好きなんですが、豊富な手術シーンが興味深いです。
この夏ドラマは『コード・ブルー」「Tomorrow」の2ほんです。
獣医さんが二人そろうと、TVの話題では医療ドラマの話になります。

手伝いに来ていただくと、長年おつきあいしてきた間柄なので
次々に器具や縫合糸を手元に用意され水が流れるように
手術が次々に進んでいくのですが、
ドラマのように「メッツェン!」と言ってポンっと手のひらに出てくる
感じではありません。言葉を交わさずとも次に私が何をしようと
するのか分かっているので、臓器や筋肉や骨などを牽引したり持ち上げたり
して結紮、縫合、止血などがし易くなります。

「こないだの○○のドラマ見た?メッツェンバウムで糸を切ってたな〜」
などと話になります。人間の外科医の方はどういう器具の使い方をされるのが
お手本かは分かりません。獣医さん(少なくとも私のお師匠さんのA先生)は
「メッツェンで糸を切るな(-_-)」と怒られたもんです。メーヨー鋏という鋏で
切ると指導されてきました。それほどメッツェンは高価で繊細な組織を扱う
鋏だと言うことです。
しかも、膿盆という容器に「ope終了・・」とカッコよさげに
「カッチャーン」と投げ入れる坂○憲二を見ていると、それは使い捨てか???
という扱い方です。
TVの世界とはいえもう少し、器具は優しく丁寧に扱って欲しいもんですね。


■ 2008.5.5 つれづれなるままに 

長らくご無沙汰しておりました。
なかなか忙しくてパソコンにむかえませんでした。

私が獣医さんになった訳、というか10代20代をいかに過ごしたか
のドラマ風になりましたが、月9でドラマになるような
美談にはなりませんでした。すみませんm(_ _)m
それなりに読者が多くいて下さったのは感謝しています。

これからは獣医さんになってから、また院長先生になってから
日々感じたことや考えさせることなど
つれづれなるままに書こうと思います。

さて・・・・・・・・・

動物の幸せは何で決まるのでしょうか?
ずばり飼い主さんの経済力?勉強力?運?思い切りのよさ?
医療面で言えば、「思い切りの良さ」でしょう。

どんなに恵まれていても、いろんな勉強をしていても
さいごは「手術する!」「入院してでも治療してみる!」
など、最後は決断力だと思います。

私がどんなに「手術が必要です」とお話ししても
「手術が怖いから・・」「素人だから必要性がわからない」
「・・・・様子見ます(良くなる根拠は無いけど)」

その方の怖いという不安を取り除けない
その方に解るように必要性をお話しできない
その方に様子を見ても良くならないと理解して頂けない
このように獣医としてイヤ、その前に人としてコミュニケーション
のとりかたが上手で無かった私に責任があると考えてきました。

けど考え方の切り口を少し考えると、口達者に説得できない
というのではなく『この先生に賭けてみるか』という
人としての魅力、ウケの良さ、器のデカさに欠けていたかもしれません。

病気のことを学術的に論理的に話すことは出来ても、
「私に任せればOK」という風にはお話ししていなかったのでは??と
久々の休日にトイレ掃除や買い物などの家事をする中でモンモンと考えて
いました。

私が最初に勤務した病院の院長のA先生はさほど論理的に
細かくお話しをしていなくても
「よろしくお願いします・・・」と患者さんは手術、入院をご依頼されて
いました。今から考えるとあれは『人望』『人徳』というオーラが
出て飼い主さんの決断力をUPさせていたのだと思います。

やっぱり「思い切りの良さ」と主治医の人望でしょうか。

私はまだまだ33歳・・・これからですかね、ホントの人望力をつけるのは。




■ 2008.1.23 連載:僕が獣医になった理由(わけ)M

最終話、そして獣医さんになる。

またまた長らくご無沙汰してました。いよいよ最終話です。

3月上旬のある晴れた日、いよいよ運命の国家試験の日が来ました。
団体予約で取った航空券、
宿泊だったので行動はみんなと一緒。 勉強してないところも一緒、しているところも一緒です。
動物のお医者さんのマンガのように、飛行機内では参考書や
意味不明な語呂合わせ、怪情報が飛び交い、
あきらめ気味の人は 機内サービスのビールで気持ちよくなっているヤツもいましたね。

東京池袋のプリンスホテルにチェックインし窓から眺めると、
あら素敵な景色・・・と感傷に浸りながら、
「あーこれが終わったらこの苦しさから逃れられる・・・」
「失敗したら6年間パーだな・・・」
「あの、怪情報はなんなんだ???」
と、どんどん不安の海に流されるので、とりあえずだれかといることに しました。

会場の早稲田大学を下見し、みんなと昼ご飯をたべていると
「で、きんせい。○○の情報なんだけど、XXって知ってる?」
と聞かれました。(○○もXXも今は忘れました)
もちろん知っていたので、「うん知ってる」と答えると、
友人は顔を 青ざめさせ、「え、知ってるの。おれ、知らなかった・・・・これで6人目や・・・ ・」
そう、平均合格率85%の試験で、多くの人が知っているのに
彼だけ知らない・・・・。彼にとってこの事態は危機的状況です。
この日の夜、彼はあまり眠れなかったようです。

私はと言いますと、みんなが話す情報に耳を傾けながら
それは知ってる、それ知らないけどきっと出題されないよ。
などなど勝手に良いように解釈して不安を打ち消し、寝床に つきましたが
6年間がパーになるか、実を結ぶかの前夜にすぐに熟睡とは いきませんでした。

初日の学科試験は必修、選択科目共に
「まぁ思ったよりは出来たな(^_^;)」 と安堵していました。
しかし青ざめている人は周りに増え始めました。
2日目の実地試験は「なんじゃこりゃ?」という問題もありましたが
「こんな問題、みんなわからんやろ(-_-)」と決め込み
6年間のピリオドを勝手につけてしまいました。

試験が終わって羽田空港へ向かう途中で他大学の学生の答えあわせに
聞き耳をたてて聞いていると、 「・・・・・君ら5人とも答え違うぞ(^^;)大丈夫か?君らの大学?」
と言うことが彼らのやりとりの中にちらほらあり、
北里大学と私の勝利(合格)を確信しました(^o^)

合格発表の前日はいろんな事が頭をめぐりました。
落ちたら両親や就職先にはなんて言おう?あーつらいんだろうなぁ。
みんなだけ合格して、自分だけ落ちた日には・・・・。
マグロ漁船に乗るにはどうしたらいいのか?
もう一回あんな試験を受けるのは いやだぁ(T_T)
とか考えても仕方の無いことにエネルギーを費やしてしまいました。

それくらい6年間が一気に重みとなってのしかかる夜でした。

そして東京・霞ヶ関、農林水産省・・・・・・ 「ヤマモト ヨシミ」の名前は合格者名簿に掲載されていました。
ほんとに嬉しかったです。どれくらい嬉しかったかというと 言葉では言い表せませんが、
それまでの苦労が一気に報われた瞬間でした。 しかし不思議な事に
獣医さんになったんだという実感は、そのときは全然わきませんでした。

青森へ帰って荷物をまとめるとき・・・・ラブちゃんの遺影が出てきました。
あーそうだな。ここから始まったのかぁ、獣医さんへの道のり・・・。
ようやく自覚がわき始めたのは、そのときだったと思います。

ラブちゃん・・・ひよっこ獣医さんのスタートですよ。




■ 2007.11.17  連載:僕が獣医になった理由(わけ)L

3ヶ月も更新をサボっていました。すいません。
やる気があるのかー!!というお叱りを受けることもあり。
一念発起でパソコンに向かっています。

卒業論文も無事提出し、発表会を控えたある日。ふと机の引き出しの奥にある、
獣医師国家試験問題集が「早く開きなさぁ〜い」とささやいているような気がしました。
別になんかの映画のようにニョロっと出てきたわけではありません。
すごく苦手だった、微生物学・伝染病学・・・・さっぱり分かりません。
というか頭の片隅にでも残っているかと思えば、畳の日焼け程度。
シビアーな現実があると言う事だけしか知らせれませんでした。
しかし、何度も再試験を受けた獣医薬理学!「すごい、すごすぎる!」
「自分って完璧っ!」というぐらい何でも分かりました。
正直あえて勉強しなくていいぞこの科目・・・というぐらい分かりました。

しかし、穴だらけの私の獣医学。「人より早めに勉強しよう・・・」
別に出し抜くわけでもないけど、この心配症が治まらない。
とにかく珍しく机に向かい始めました。まだ卒論の疲れも癒えていないのに。
勉強しだしたら、意外と思い出すもんです。
しかし順調なのは最初だけ。18科目(19だったかな?)もやっていると
頭のいたーい解剖学、わけわかんない生理学、魚病学・・・・・・・・・・・
ドカーンと爆発したのはクリスマス頃でした。みんなが「さーこれから頑張ろう」としていた矢先。
1度記憶した事が消えているのを知ると何かが崩れ去っていく音が聞こえました。
自分の頭脳の爆発下限界は低かったらしく、ちょっとしたショックで「うぉーまた最初からやり直しー(泣)」
となるとイジイジしてしまいました。
しかし最初はみんなも一回では覚えられないらしく、正月が明けると次々と爆発音や破損音が
キャンパスのあちこちから聞こえてきました。「もう、無理だぁー」「これわからーん」「もうやめたーい」
など音の種類は様々でしたが、私は賽の河原で石を積むように、崩れては積み上げ、
崩れては積み上げ、2月にはなんとか形にはなって来ました。しかしその頃には人格が変わってきたのか
獣医さんになれないかも、とか、いやもう獣医になれなくていいから早く終わって南の海でマグロを獲る!
などうわごとを言いながら机で寝ているときなどがありました。ホントに辛かったです。
覚えても覚えても次から次へと忘れていくため、ベストのコンディションのときが来たら「もう試験しよう!」
とかホント壊れてました。

そして都の西北、早稲田大学での獣医師国家試験が始まるのでした。

次回、最終話。「そして獣医さんになる」



■ 2007.8.2  連載:僕が獣医になった理由(わけ)K

2ヶ月も更新をサボっていました。すみません。
なかなかHPビルダーの入っているパソコンに向かえませんでした。

小動物の診療に進む事を腹に決めた私でしたが、まだまだキャンパスライフ
(キャンパスというほどおしゃれではないのですが)をそれなりに過ごしてみたい21歳の男子!
忙しい研究室に配属されるのもちょっと・・・・という考え方が、頭に入力されており、
学生のうちから診療に携わる研究室である「臨床系」には目が向く事は有りませんでした。
T先生曰く「どこ入っても、一緒。いかに卒業してから身に付けるか?」が重要だよという言葉を信じ、
「逆に」卒業したらあまり関係無さそうな研究室にしようと考えていました。
いくつかリストが上がった中ですこし惹かれた研究室は「獣医放射線学研究室」。

人間の医療ではX線を主に考えますが、放射性同位元素(アイソトープ)という物質を上手く使い、
放射線が身体にどのような影響を与えるのか?生体サンプルの微量元素の分析など
「これは卒業したらほぼ関係ないでしょう・・・・」という講座に入る事になりました。

なぜ卒後関係ないと思われる科目を専攻したかというと、T先生の知識の広さに驚いた事です。
そして「専門バカ」になってはいけないということでした。幅広い知識はきっと身を助けると思ったのです。

放射性物質を扱う研究はなかなか興味を惹かれました。薄めて使えば害無く、
たくさんのデータが得る事ができ、面白い反面その厳しさも学びました。

そして卒業論文の作成にも終わりを告げ「獣医師国家試験」を迎える冬が始まるのでした。

次回、人格を壊す「獣医師国家試験」こうご期待!



■ 2007.6.2  連載:僕が獣医になった理由(わけ)J

T先生の病院は高校の通学途中の電車から毎日見えていました。
「あ、あそこにも動物病院・・・・。どんな先生が??」とは思っていましたが、
まさか最初の臨床研修がT先生のもとになるとは思ってもいませんでした。

3年生に上がる少し前に「実際に最前線の現場はどうなっているのか?」
ちょっと授業の内容があまりにも現場とはいっちしていなかったので少しばかり不安な気持ちもありました。
大学のOBの方が「あー、そこの先生は北里大学出身だよ」と教えてくれたのでまずはお手紙を書いて、
お伺いしてみましたらOKのお返事をいただき早速見学に・・・・

元ラグビー部のT先生はガッチリ型の先生。北海道で産業獣医師をされた後、
小動物臨床の実務を経験されご実家で開業されました。
いろいろ見学したかったのですが、最初はどちらが見られているのやら、
いろいろネホリーナ、ハホリーナ聞かれました。
1週間ぐらい通わせてもらうと、話のネタが尽きるとようやくいろいろな現場の話をお聞きする事ができました。

産業獣医師のつらさ、やりがい。小動物臨床のつらさ、やりがい。地方公務員獣医師の仕事の内容など、
多岐にわたって聞きました。確かに進路の参考にはなりましたが、やっぱり生き生きと飼い主さんとお話をする
先生の笑顔は僕をこの業界に引きつける大きな要因とひとつであった事は間違いないですね。

最初の見学でわかったのは、「動物の幸せは、飼い主さんで決まる」ということでした。
きちんと予防医療を受けさせてあげ、病気の発見も早くしてあげることが、動物を幸せにしてあげれるのではないかな?
っと感じました。

そして3、4年通ううちに「やっぱり動物病院だ!」と決めたのです。それは「治ってよかったですね」
と笑顔で人に喜んでもらう事が出来ると思ったからです。

そしていよいよ5年生。専攻する講座(研究室)が決まりキャンパスライフも終焉を迎えるのでした。

次回「踊る大放射線!」放射線の正しい使い方?怖さを勉強です!



■ 2007.4.25  連載:僕が獣医になった理由(わけ)I

大学の実習では実際に動物を前に実技を行う時間もあれば、分娩などのさすがにその時間に用意できない
動物もあり、ビデオで見て終了だったりします。中でもみんながぜんぜん興味なかったけど一人で「ふーん!」と
まじまじ見ていたのが、牛の「難産救助」でした。逆子であったり、肩がつっかえたりして母牛が苦しみ、
仔牛が出てこない・・・そこを獣医さん助産?するのが「難産救助」です。
牛の診療は特異的で「肛門」から腕を突っ込み内臓を評価する「直腸検査」を行い卵巣の状態を評価したり、
「難産になっている体位」を調べたりして診療をします。
ウェブ上では上手くいえませんがいろんな機材を使って分娩を行います。
それでダメなら帝王切開を試みる事もあります。皆さん知ってましたか?牛の帝王切開は起立したまま行います。
ビデオに写っていた数々に秘技、神業に感動したのはもちろん、新しい生命の誕生が画面越しに伝わり、
ウルウルした丸い瞳が僕を産業獣医師、しいては難産救助のスペシャリストへの志を植え付けたのでした。
しかしながら、産業獣医師への門はせまいもので、募集人員は少ない上に希望者数が多いので諦めざるを
えなかったのは、それからまもなくのことでした。
小動物の臨床研修は3年生のころから自宅の近くのT先生の動物病院に通わせてもらえました。
T先生は産業獣医師を経てから小動物臨床にたずさわれたので多くのことを教えていただきました。

T先生の病院での臨床研修については次回から・・・こうご期待



■2007.4.7  連載:僕が獣医になった理由(わけ)H

3年生4年生になると、さすがに動物の気配がしだしていろいろな実習や実験、山のようなレポート、
苦手だったのは実地試験でしたが言葉巧みに切り抜けるスベは全く身につけていなかったので、地道に
再試験を受けたり必死に勉強をしました。
数多くある科目のかなでサッパリ単位をくれなかったのが「獣医薬理学」今でも顔を忘れないK教授のお陰で
教科書は赤線だらけ背表紙はぼろぼろ、英語の辞書のように手垢で真っ黒になるくらい勉強しました。
苦戦した理由は薬の作用にリアリティ?を感じなかったからで、使ったことの無い薬の作用なんてサッパリ
イメージが湧かず苦労しました。
(車の免許が無い人に「やっぱり車はクラウンだね!」と話をするのと同じです)
お陰で国家試験の時は勉強しなくてもいいくらいお薬オタクになってましたが・・・・

この時期になるとさすがに将来の職種を考え始め、やはり小動物!いや、産業獣医師(牛、馬などの家畜)、
公務員獣医師?などなどラブちゃんの遺影を見ながら迷いはありました。
まずは見学だ!帰郷して今でも大切な恩師である、開業獣医師のDr.Tの動物病院の扉を開くのでした・・・・(つづく)

次回、やっぱり牛はかわいいぞ!産業獣医師への浮気?進路決定編!



■2007.2.15  連載:僕が獣医になった理由(わけ)G

青森の冬はとにかく寒い!朝起きて大学へ行くために始める事。
それは部屋を暖め布団から出られるようにする事でした。
ショッキングだったことは朝起きてトイレに行き、顔を洗おうとすると「・・・・・・・」じゃーーーーーーって言わないぞ!!!
そう、水道管が凍結し水が来ないのです。誓って言いますがトイレは流れたのですが、
タンクに水がたまらなかった事は全く気がつきませんでした。
水道業者を呼ぶ前に大学へ!!まず水が出るところにたどり着くには車に乗って大学へ行きました。
トイレで顔を洗い、教室でご飯を食べる。水は大切なんだとつくづく思う一日でした。
水道管の凍結を解除するには蛇口から水道管に電気を流すだけ・・・それなのになんと¥5000。
学生アルバイトは募集してませんでした。

とにかく生き抜くことにエネルギーを費やされ、大学の試験は散々でした。落第とまではいきませんが、
いくつか追試験を受けた事は覚えています。寒さが無ければ追試が無いかと言うとそうでもなく、
環境の変化についていけなかったのでしょうか。

2年生を無事に通過し命の学問の階段を上っていくのでした。



■2007.1.4  連載:僕が獣医になった理由(わけ)F

伊丹空港から飛行機に乗ること2時間半。青森県の東の端、三沢空港に降り立ったのは3月末の
まだ雪が残る季節でした。大阪と違って桜が咲く気配も無く、まだダウンジャケットが必要だったことは覚えています。
三沢空港からバスに乗り、さらに20世紀の遺産!単線の列車十和田観光鉄道に揺られ、
とうとう着いた北の大地にそびえたつ白い巨塔!?北里大学獣医学科!ここで始まる獣医さんへの修行に
心躍らせる前に、とにかく生活の準備が大変だと言う事に気が付きました。なんせ田舎もイナカ
(十和田市民のみなさんすみません)家賃が東京や大阪に比べて破格に安い上に、新築のアパートが
建築ラッシュだったので、場所も考えず、間取りと家賃だけをみて決めたアパート・・・・
その大きさに合せて買った物がビッシリとありました。5年間お世話になるアパートですから、
アルバイトして貯めたお金で家具はおろかベンチプレス、ダンベルなどおいておくことも可能でした。

しかし困ったことは、市役所やスーパー、銀行、郵便局など生活に必要な施設に行くには大変不便な場所でした。
そして大学に行くにも少し遠かったような気がします。もう少し考えればよかったかもしれませんが、
住めば都、八甲田山が毎日拝める最高のロケーションでした。

最初の専門教育は解剖学に生理学、生化学。やっと動物の香り(牛糞の香りではありませんよ)がしはじめました。
しかし複雑怪奇だったのは、牛や馬、豚から羊、イヌにいたるまで骨格や筋肉、生殖器、消化器にいたるまで、
胃が複数あったり無かったり骨や歯の数が違ったりなど、なかなか大変でした。このときだけは、
「医学部の解剖学を上回っている」と少し偉くなったような気がしました。

ある日解剖学の先生に「山本くん、これは何の骨でしょう?」と質問されました。
(今から思えば牛の大腿骨だったような・・)かなり焦った私は「げ、ゲンコツです」と答えると、「・・・・・・・(先生)」
同じ班の方から、大爆笑を誘ったことだけは覚えています。本物のゲンコツは飛んできませんでした。
そんなかんじで、スタートした専門課程。

しかし実習ではつらい事も多くありました。やはり「動物の死」というものの上になりたっていると言う事でした。
ワンコの亡骸、牛の亡骸、カエルの亡骸。とにかくこれだけ多くの生命の死に基礎学問が成り立っているんだ、
ということをまざまざと考えさせられる2年生だった事は覚えています。
さて、いつになったらお薬や病気の話が出てくるのやら・・・

初めての厳しい冬を迎えようとしていました。

次回は、「厳冬!青森の冬。戦え!道路と水道管の凍結」につづく。



■2006.11.23  連載:僕が獣医になった理由(わけ)E

合格と入学が決まり、花嫁修業ならぬ「一人暮らし修行」をしてみるとおふくろは今までに
多くの手料理を作ってくれたんだと言うことがよく分かりました。肉じゃが、煮物等は結局6年間で同じ味で
作ることが出来たのは一度もありませんでした。まぁ、当然ですね・・

初めての一人暮らしは相模原市大野台にある8畳の部屋の1DK。しかし交野の山奥で静かな生活をしていると
びっくりするモノは多く、米軍の戦闘機が真上を飛び交い窓が揺れ、関東ローム層の細かな土が部屋を砂だらけにし、
荒れた部屋になってました。掃除も洗濯も全て一人でやらなくてはならない環境は私にとってはそれも楽しいモノでした。
(両親は心配だったようですが)

1年目の講義は獣医学とはほど遠いもので、教養課程と名前は付けられていました。数学、物理、心理学やら文学、
ドイツ語まで・・・今から思えば解剖学や生理学ぐらいは教えてもらいたかったなぁーと今でも「三つ子の魂百まで」
と恨めしく思うのでした。
少なくともあの1年間のおかげで、獣医への志は少し萎えたような気がしましたし、実際にへし折れた方も
いたのではないかと思います。しかし青森へ行ってからはみっちり、ミチミチと専門教育を受けたような気がしますね。

無駄な授業?に学費や生活費が使われるのは不満がありましたが、社会人の一歩手前の学生生活をすることで、
人間関係での上下関係や世渡り?お酒の飲み方?などなど講義室や両親には教えてくれないことを
たくさん教わったような気がします。

そして夏が来て夏休みになり、大阪へ帰るとラブちゃんは元気に「天敵の卵」を迎えてくれました。
それが二人で過ごす最後の夏休みでした・・・・・

その知らせが来たのは9月のある日。電話で母から「ラブの食欲がない」とのことでした。
Dr.Iの診察では肝臓に腫瘍があるとしか分かりませんでした。頻繁に母は車に乗せ点滴に通ってくれたようですが、
10月のある朝。小屋で静かに息を引き取っていました。前夜は雨が降り、寒かったようなので、
居間で両親と姉と過ごしていたようですが何が何でも小屋に戻りたかったらしく、冷たい雨の中小屋に戻ったら
静かに休み始めたそうです。それがみんなが見た最期のラブちゃんの姿だったようです。

電話を頻繁に入れていましたが、急に亡くなったことを聞くと自分の無力さや、大学があるから帰れない歯がゆさが
つらい思いに拍車をかけました。

しばらくは辛かったですが、立派な獣医さんになるにはこういうつらさも乗り越えてこそなんだと自分に言い聞かせ、
つまらない授業でも履修不足にならないようにしっかりと受講するようにしました。

そして翌年の春。青森県十和田市にある獣医学科のあるキャンパスに旅立つことになりました。
その前にラブちゃんの墓地に挨拶をして新たに志を立てて、ラブちゃんの遺影を一緒に北の最果てに向かうのでした。
桜前線を追い越して・・・

次回は、「北の国から'94?」



■2006.10.17  連載:僕が獣医になった理由(わけ)D

さていくつか大学を受けてみましたが、当時獣医学科人気は凄まじいもので、私立大学でも40倍前後の倍率があり、
受験会場ではヒトがひしめき合い、どこの会場でも「オレ、獣医になる前に圧死するな」と言うぐらいバス乗り場から、
ホテル、一番近い駅のホームや改札、まで受験生で満たされていました。
その人気は「動物のお医者さん」という少女マンガ(入学してから初めて読んだのです・・・)の影響か女子高生の
人気の学科になっていました。会場でも思ったのですが「半分以上女性だな〜」っと、男子校出身の私としては
「前途多難?」「華のキャンパスライフ?」「恋の三角関係?」をどれも想像してLife CardのCMのように
一人で盛り上がってました。
どの大学の受験もそれなりにできた気がしましたが、バス停や駅が近づくと、「あかんかも(泣)」と思いました。
それほどヒトでごったがえしていたのです。やっぱり獣医さんは無理かなぁ・・と弱気になる自分を慰め、
予備校のパンフレットを改札口で受け取ると弱気な僕は「熟読」しました。

しかし、結果は私立大学はいくつか合格したのですが、学費の安い国立大学は残念ながら惨敗してしまいました。
いまでも覚えています電報の内容「水芭蕉、花咲かず・・・」しかし、まぁ両親の協力もあって「北里大学獣医学科」
に進学させてもらえることになりました。
入学に際してはビックリ!!最初の1年間(教養課程)は神奈川県に住む事に!おかしいーなぁ。
青森の田舎に住む予定が・・・そして、大都会?神奈川県に上京することになりました。
つづく。次回は『初めての一人暮らし』です。



■2006.10.7  連載:僕が獣医になった理由(わけ)C

目標が決まったけども、さてどうやったら獣医さんになれるのか?

中学生のときにすでにありましたが、「なるにはブックス」と言う書籍が出版されていました。
「医師になるには」、「パイロットになるには」、「漫画家になるには」・・・などなど
あぁ、そういえばなかったですねぇ「IT社長になるには・・」は・・

多くの職業に対して出版されており、今でも紀伊国屋書店などで見かけます。勿論手にとったのは
「獣医師になるには」です。そして手にして読んでみたのですが、6年制の大学に進学。
しかも日本では15大学しかない!という狭い門で長い道のりを示されました。
ただ、動物病院の開き方までは書いてなかったので、「とにかくどこかの大学にもぐりこんで卒業する。」
「獣医師国家試験に合格する」「動物病院に勤務する、修行する」この3ステップをこれから目標に置いてみました。
けどあの本・・・職業の大変さなどはミジンも書いていなかったような気がします。
もし、書いていてもDr.Iのかっこよさにかすんでいたのかも知れませんが・・・

両親との家族会議?をしたかどうか覚えていませんが、「第一志望は国公立大学」(高校が私学だったので・・)
「あくまで現役で進学」(父親の定年などを逆算)「私立大学は最終手段」(今でも両親に感謝してます)
「防衛大学も受験する」(気が変わるかも知れないし・・)

ということになり、模擬試験を受ける中で模索してみましたが地元の大阪府立大学にあまり魅力が無かったのか、
北の大地「北海道大学理科V系」(今では学部ごとに受験するようです)を目標に受験生生活を戦う事になったのです。
今だから言いますが、大阪府立大もいいところです。ただ北の大地に住みたい!という憧れが強かっただけです。

さてさて、ラブちゃん・・・飼い主が獣医さんを目指している事など想像もせず、毎日一緒に散歩しているとは
夢にも思ってもいなかったでしょうね。けどね、「病気になったら私が治療する!」という強い気持ちはあったんだよ・・・・

そして18歳の受験シーズンを迎えるのでした。

次回は怒涛の合格、上京編!



■2006.9.29  連載:僕が獣医になった理由(わけ)B

どう考えても脚を上げっぱなしにしているラブちゃん・・・しかし、しばらく歩くと歩き始めました。
「仮病??」なわけでもなく再び脚を上げてなんだか痛そうにしています。
しばらくすると再び歩く・・・こんな状態が何回か続いたので、撫でてあげると「キャン」と言って泣きました。
これはヤバイ・・動物病院はお金がかかる・・そんな事は知ってか知らずか、母に頼んで車に乗せてもらって
I先生の所に行きました。

しっかりとI先生にわかるように僕が話した事は覚えていますが、今となってはI先生はきっと診断の参考になったのか
ならなかったのか、ねっころがして脚にさわり、膝を触り、足の裏を見て、「・・・・・レントゲンを撮りましょう」と。

膝のお皿の骨がゆるかったのか(膝蓋骨内方脱臼と学生になってから知りました。そんなに大した事はないレベルの脱臼)
「これかなぁ・・」と先生はお話してくれたのは覚えています。そして痛い注射をうたれて、
また病院がいやになるラブちゃんでした。

そして翌朝、痛み止めを飲ませに犬舎に行くと、元気に飛び回るラブちゃんがいました。「I先生かっこえぇ・・・・(泣)」

飼い主の私が、天敵の獣医さんに感動を感じてるとは知らず、「車に乗る=病院」という図式だけ覚えたラブちゃんは、
高校2年生になる私を再び散歩にひきずり回すのでした。

それから「獣医さんになるにはどうしたらいいのか??」

人生の中の大きな歯車を自らの手で回し始めるのでした。

(次回は大学受験編です。)



■2006.9.13  連載:僕が獣医になった理由(わけ)A

少年とは夢をたくさん見るようなので、多感な?時代の中学生や高校生の時には「僕は将来こうなりたい!」
という理想像を多く描くようです。みなさんはどうでしたか?

とにかく「勉強しろ」と言われる前に勉強してれば「勉強しろ」と言われない事は、潜在意識にあったらしく
中学3年生以後はひたすら机に向かっていたのは覚えています。(それまではひたすら剣道少年。・・・後日談です)
その甲斐あってか、高校2年生にして多くの選択肢があったことは覚えています。
とにかく他人と一緒の事があまり好きではなく、どうせ大学行くなら文系ではなく理系。しかも何か資格を
得られる大学に行こう!とは考えてました。そう、手に職をつける!という考えでした。

防衛大学校に進んで自衛官。気象大学校に進んで気象予報士。消防大学校に進んで消防士。
海上保安大学校に進んで海猿。航空保安大学校に進んで航空管制官。薬学部に進んで薬剤師。
医学部に進んで医師。歯医者さんは嫌いでした。
そう、人の役に立ち、体を張って働くという職種を好んでいたようです。
検察官も思い描いていましたが、司法試験の壁の高さに逃げました。

そして高2の冬でした。ウダウダ考えて愛犬ラブちゃんと散歩していると、「あれ脚を引きずっている!」
またまたI先生が私の前に現れたわけです!!

(つづく)



■2006.8.26  連載:僕が獣医になった理由(わけ)@

「先生はなんで獣医さんになったの?」と患者さん診察の流れの中で聞かれました。
「・・・・それはかっこいいからさ(^^)/」とは言えませんでしたが、やはりきっかけはあります。

小学校4年生の時に山本家にビーグル犬が来ました。名前は「ラブちゃん」。よく泣く子で、ご飯のとき、
父が会社から帰ってきたとき、一家で焼肉をしているときワンワン鳴いて近所迷惑?になってるときもありましたが、
みかんやリンゴをあげると不思議と静かにしていたような気がします。

ラブは私が落ち込んでいるとき(今から考えるとたいしたことではない!)にはご機嫌を伺うように「ピスピス」と鳴いて
お腹を見せて芸をしたり、「そんな時は何も考えずに走るのよ!」と言わんばかりに、散歩に引きずり回されました。

そんなラブが吐きました・・・これは病気かも!と思い当時、一番近い獣医さんは車で15分ほどかかりましたが、
毎年お世話になっていたDr.Iに診てもらいました。血液検査、レントゲン・・・特に診断名は覚えては無いのですが、
スパッと元気になった事だけは覚えています。そして「かっこいいとはこういう事さ」という感じに
お話を母にしてくれた事を覚えています。
「I先生、かっこいい。言葉が分からないのに、治してくれた!すごい!」とガキんちょの私は感動し、
獣医さんってかっこいい、すばらしい職業だ。と人生の目標をDr.Iの背中に感じたモノでした。

それから約10年後。大学進学を迎えるのでした。(つづく)